セドリ、転売で儲ける究極の方法 その3

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楽しみながらの売買

私が最初にヤフオク(旧Yahoo!オークション) で品物を販売したのはまだサラリーマン時代のこと、だいたい1990年代後半のことで、使わない電化製品や、読み終わった本などを「捨てるよりは」くらいの感覚でやっていたのを覚えています。

実は、私はまだヤフオクやAmzon等がなかった頃、あるいはほとんど普及していなかった頃からネットで品物を売るといったことをやっていました。

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セドリ、転売で儲ける究極の方法 その2

かなりの先駆け

自慢ではないですが、たぶんネットで物を売るという作業を始めた者の中では、かなりの先駆者だと思います。

インターネットの創成期といえる頃、だいたい1994年の前後に「ニュースグループ」という今でいう5chのような集まりがありました。

Windows95さえ出現していない時代、いわゆるGUI(グラフィカルユーザインタフェース、現代のパソコンのようにアイコン、画像で識別して操作する技術)が未発達で、通信の手段が全て文字だった頃です。

その「ニュースグループ」の中に、個人で品物を売買(交換)するようなカテゴリーがあって、その場所を利用して私は手元に余っている小物などを販売していました。

何らシステム的なバックアップはないので、そのニュースグループの中では、基本的にユーザー同士が勝手やりとりします。

まずは掲示板に、「○○を売りたいです。1,000円でどうでしょう?」と言ったような記事を書きます。

それに対して、「欲しいです、よろしくお願いします」というようなレスポンスがあります。

これで商談成立です。

互いにメールアドレスを交換し合って、「それでは何日に、どこどこの駅の改札前で」、あるいはちょっと大きな物だと「ご自宅までお届けしますよ」などとやり取りして、あとは実際に売買を行うといったような、実にのんびりとしたものでした。

で、もちろん儲けなどありません。

何も整っていないシステムの中で儲けを出すのは至難の技でしょうし、何よりも、当時私はただ単にそれが面白くてやっていただけです。

商売の喜び

自分で品物を持って届けに行ったりするわけですから、実際には儲けなど度外視、何か別の商品を持って行って、「これ使いますか?」などとオマケにあげてみたりと、本当に遊びの一つとして楽しんでいたわけです。

なんとも良い時代でした。

誰もガツガツしていません。そもそもネットで儲けよう、などといった発想さえ当時のインターネット愛好者達にはなかったでしょう。

大部分のネットユーザーが、コミュニケーションをとることを純粋に楽しんでいたような気がします。

余っている品物、使う予定のない物が手元にあるとき、それまでは知人にあげるか、譲るか、押し入れの肥やしとなるか、あるいは捨ててしまうしかなかった頃です。

インターネット創成期の「ニュースグループ」でのやり取りは、品物を換金できるという喜びもそうですが、たいして儲けが出るわけではありませんので、有効に使ってくれる人の元へ品物を届けるという喜びであり、他人に喜んでもらえるという根本的な満足感であったわけです。

先天的な適性

私は先天的に品物を人へ渡して対価を得ることで喜びを強く感じるタイプの人間「商人」だと気づきました。

お金が手に入る直接的なことにではなく、人が喜んでお金を払ってくれることに喜びを感じたということです。

何の仕事でもそうですよね、仕事である以上収益が発生しなければなりません。でも、それはある側面から見た時だけの成果です。仕事の本当の喜びは、他人に感謝されること、他人に喜ばれることだと私は考えています。

仕事の職種は大きく分けて5つです。

製造、企画、仲介、販売、サービスです。

皆さんの職業も必ずどれかに必ず当てはまるはずです。そして、どの職種にも必ず満足感や喜びがあります。

何かを作った時の人の評価であったり、販売者にこれは便利だと言ってもらえるシステム作りであったり、顧客に喜んでもらえる販売、サービスの提供であったりするわけです。

仕事をする上で、相手の喜びを感じられない仕事はただ限りなく空しいだけだと私は感じてしまいます。

あなたが最も喜びを感じられる職種はどれでしょうか?

鼻が効くか効かないか

私はこの商人としての素養が生まれつき強く備わっていて、その方面にはやたら「鼻が効く」タイプの人間なんだと感じました。

インターネットで物品の転売を始めたのは30代でしたが、30年以上自分の人生を模索し続けて、この時ようやく自分のタイプに気づいたのです。

自分のタイプが明確になったことで、その後は一直線に自分を磨きあげてスキルアップする方向に進むことができました。

この「鼻が利く」は日々仕事を続けるうえで、私にとって最も大事なファクターだと感じています。

鼻が効かない人、何かの仕事と向かい合った時、人に何か教えられないと、何も見当がつかない人はダメです。

そういう人は選んだ仕事のジャンルを明らかに間違えています。

そして、間違えたと感じた時にはすぐに引き返すか、違う道に乗り換えることがもっとも重要です。

現代のインターネットビジネスでは、この乗り換えが簡単です。商売などいつでも鞍替えできます。

同じ道を一筋と言います。

一芸はすべてに通ずると言います。

間違ってはいません。

でもそれは自分に適性のある道であることが大前提だと私は考えています。

自分が先天的にどのタイプに属する人間なのか、まずはそれを見極めることが、これからの道を探るうえで最も大事なキーワードとなりす。

スポーツや勉強でもそうですが、教えられずともその競技や学科にスムーズに入っていける時、そこには適性があると言えるはずです。

違うと感じたのであれば、迷わず違う事をした方がいい、私はそう考えています。

家業

少し話はそれますが、私の生まれ育った場所は群馬県桐生市というところで、家は代々続くちょっとした機織(はたおり)の名家であり旧家でした。

現在もその場所には持て余すほど巨大で古い家があり、今は亡くなってしまったおばあさんに聞いた話だと、当時はその家に併設している工場で、何人も人を使って機織業を営んでいたとのことです。

亡くなった私の父親も、扱う品物は変わりましたが、ニット製品などの生地を織る工場を経営していました。

亡くなる前まで続けていましたが、晩年は構造的な不況の波をもろに受けて仕事も少なく、工場もほとんど稼働してない状態だったのを覚えています。

私はそんな父親の工場の機械がザーッザーッと音を立てる中で育ちました。

私には弟がいて、弟は見よう見まねで家業のニット織の手伝い(いたずら)をしていたようですが、私自身は不思議なくらいその仕事には興味が持てず、その職種で何かを知りたいといった欲求は皆無でした。

私は職人ではないのです。

何かを作る人ではありません。

ましてや機械というものに全く興味が持てません。

なぜこの家に生を受けたのか不思議なくらいです。

もし何かの間違いで、この父親の、家の仕事を継いでいたとしたら、私は大失敗していたはずです。

あるいは適性のない、興味を持てない仕事の中でもがき苦しみ、惨憺たる人生を送っていたかもしれません。

鼻を効かせろ

鼻が効くという言葉を言い換えると、何かをひらめく、アイデアがとめどなく湧く、二つに分かれた道の可能性の強い側をチョイスできるということでもあります。

長く商売を続ける中で必ずやってくる大きな転機を乗り越えるためにはこの適性が必須です。

セドリで儲けたい、将来転売を主体に起業したいともしあなたが考えるなら、あなたは必ず二つの職種、「販売」と「企画」に興味がある人間である必要があります。

これなしでは必ず失敗する、私は強くそう考えます。

さて、インターネットで実際に品物を売るビジネスを始める時、それがセドリであれ、転売であれ最も重要なことはなんでしょうか?

それはずばり仕入です。

あなたがこれから何かを販売しようと考えている時、その商売が成功するか否かはほぼ仕入れに掛かっていると言って過言ではありません。

当たり前のことですね、品物がなければ販売はできませし、すでに売る方法は確立されています。

継続的に、安く、大量に仕入れができるこれに尽きます。

極端な言い方をすれば、無限に途切れることなく、タダ同然で仕入れられる、こんな品物を見つけることが大切です。

タダ同然で無限に?などというと、そんなことはありえないと思われることでしょう。

でも世の中には枯葉や土を売っている方もいますし、大手企業などは水を売って大儲けしています。

肝心なのは物をどの角度から見るかです。

それは目いっぱい鼻を効かせることで初めて見えてきます。

私のこのブログで皆さんに教える内容はずばり仕入れの方法と、その販路の選び方となります。

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